とらの徒然

ネコ科のペンギン

就活と安寧(1)

就活が、いや就活だけだ。
おれの心の安寧を奪うのは。
でもなぜか、急にすべてがどうでもよく思える瞬間がある。
例えば、今とかね。





6月末から、インターンに向けて就活生が動き出す。
毎日ES提出やwebテストに追われ、面接のために東京まで出向いては、改札に表示される金額に目を見開く。


面接では、思ってもいないことをさも自分の信念かのように語るが、内心は第一ボダンが窮屈だなんて考えている。


自己紹介に大学名が付き纏うのは何故だろう。
偏差値の高い大学に通っているからといって、仕事ができるわけではない。
が、それでも隣の人のそれを聞けばささやかな優越感が生まれる。


決められたことを決められた通りにやってきた。
人生を懸けてやりたいことなんて、見つかる人の方が少ないはずだ。
就活では「如何に上手にウソが吐けるか」ばかりが問われている。
おれはウソがきらいだ。


就活垢という謎めいたものも出現し始める。
やたら長いプロフィール。プロフィールの長さと本人の中身の濃さは反比例するのではなかろうか。
本当に中身のあるニンゲンは、肩書きで自分を飾る必要がない。
とはいえ、飾る肩書きすら持っていない空虚なヤツもいるので考えものだ。
ボヤいてみるものの、肩書きが降ってくることはなかった。梅雨なのに。陰謀だ!


これは単なる偏見だが、サークルに恋愛と、大学生活を楽しんだニンゲンがやはり就活に強い気がする。
ある意味「社会」という枠組みの中で上手くやってきたのだから、就活で認められるのは筋が通っている。
なら、負け組が日の目を見るのは一体いつだ?
夜行性が負け組だなんて誰が決めたというのか。
フクロウやコウモリは社会不適合者扱いされないのに、おれらは社不の二文字を背負って生きなければならない。


けれど、おれはよく知っている。
世の中は上手くできていて、おれが頑張る必要はないのだと。
おれが努力しなくてもどうとでもなる。
どうせ死にゃしないし、いっそ死ねたらそれはそれで一種のハッピーエンドだ。


いつからだろう。面倒なことを考えなくなったのは。
考えているようで、心の奥底では「まあ、どうでもいいか」と思っている。
世の中は本当に上手くできている。本気で気にかけなければならないものなんてこの世に存在しない。
それがある人だって、それを「気にかけたい」だけだ。必要性があるわけじゃないだろう。


だから就活も無意味だ。
気にするほどのことじゃない。
そう言い聞かせておかないと……。


そして、背負った「社不」の二文字の上に、「不合格」の三文字が降ってきた。
梅雨だ。


次回↓
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