とらの徒然

ネコ科のペンギン

18禁

今年のクリスマスは寒いらしい。なんと、ここ鹿児島の地でも降雪が予想されるらしく、「ホワイトクリスマスだね」なんて言葉をもらった。イベント事に疎い私は、その言葉でようやくクリスマスが近いことを認識した。カレンダーを見れば、おやまあ、今週末ではないか。クリスマスがなんだ、ただの一日じゃないか、と思わないでもないが、そうじゃない。クリスマスだとか、誕生日だとか、他にも色々な記念日は、それ自体が特別なのではなくて、単に、今一度お互いを尊重し合うきっかけにしましょうね、と言っているに過ぎないのだ。

かつての私は、それがわからなかった。

 

 

さて、それでは私に何ができるだろう?

私にできることは限られている。

そう、「私に」できることは限られているのだ。

私は、私たちではない。

 

 

憐れむなかれ!

クリスマスにすることは決まっている。そりゃ異性と戯れたい気はそれなりにある。だが知っているか。そういった欲望は、ゲームでも補えてしまうことを。

 

 

侮るなかれ!

私を侮ることの根底には、ゲームへの侮りがある。所詮ゲーム、そう思っているんだろう。それ即ち、製作者への侮りだ。製作者は魂込めて作品を作っている。消費者が満足いくようにと、精一杯の努力をしている。作品をプレイして満足感を得るのは、ある意味当たり前であり、そこを馬鹿にしてはならない。

 

 

なんだよ。なんか文句あんの。

 

 

ゲームといえばそれまでは、モンスターをしばき倒したり、配管工や裸ネクタイゴリラに赤甲羅をぶつけたりと、どう転んでも殴り合いの喧嘩に発展するものしかやってこなかったのだが、たまたまノベルゲーというものが目に入り、じゃあやってみるかと手を出した次第。

 

 

すると不思議なことに、私の人生に、青春が飛来した。二階から春が落ちてきた、って感じ。

本当に不思議だ。

私はそれなりに読書をする方だが、青春小説と呼ばれる類のものはもう読めなくなっていた。「ありえねえだろ」という気持ちが先立ってしまい、甘酸っぱさを楽しめないのだ。現実にそんな女いねえよ。夢見がすぎるだろ、と。

 

 

ところがゲームになると、それを楽しめてしまった。

なんでだ?絵がついているから?

なら漫画ならどうか?

あ、なんか楽しく読める気がする。

そうか、現実味がない分、視覚や聴覚で補えばいいわけだ。なるほど。新たな発見だ。特に活かす場所もないが。

 

 

いやしかし、この手のゲームで遊んでいると、己がとんでもなく浮気性なのではないかという気にさせられる。

攻略可能なメインヒロインは4人いて、それぞれのルートにはそれぞれ別の物語が存在している。それらすべてを回収してこそ、ゲーム全体の物語がわかるというものなのだ。

そのため今日はこの子、明日はこの子、といった状態になる。そして、先述の通り、今日も明日も、青春が飛来する。君だけが好きだ、と違う相手に囁きかける。

 

 

可愛けりゃ誰でもいいのか?

 

 

なんだよ。なんか文句あんの。

 

 

現実でも然り。

道端で「可愛いな」と思い、声をかける。先日もそんなことをしたが、理由といえば「可愛かったから」くらいのものだ。あなたではなくても、同じくらい可愛かったなら、別にあなたでなくてもよかった。そういうことになってしまう。

ただ、まあ、巡り合せだ。たまたまその場に私がいて、あなたがいた。この真実だけ〜でもう〜胃がもたれていくぅ〜ウゥ~~フゥ⤴!!!どんなカップルだってそんなものだろう。

 

 

けれど、私はその先を見据えていただろうか?

どうにも、「可愛いな」から始まる物語では、相手を尊重できない気がする。尊重には尊敬が必要だ。可愛さは、敬意の対象にはならない。どうしても愛玩の類になってしまう。消費になってしまう。

 

 

思えば、これまでの人生で、私が「その先」を見据えることができた女性は皆、尊敬の対象だった。異性である以前に、人間として惹かれた。可愛さなんてものは二の次だった。その生き様に憧憬を抱き、己の人生に投影したいと思うほどに。過ぎたことを言えば、性別すらどうでもよかったのだ。

 

 

なんてことは、まるでない。

でなければ、エロゲなんてやらない。ナンパなんてしない。

 

 

なんだよ。なんか文句あんの。