とらの徒然

ネコ科のペンギン

温かなブラウザバック

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

 

「インターネット」もしくは「テキスト文化」をお題にしてブログを書き、入選するとお金がもらえるらしい。なんともまあ漠然としていて書きにくいテーマではあるが、このブログ自体がそもそもテキストで、かつインターネットで発信しているところを見るに、結局何を書いても上記テーマにこじつけができる気がする。

なんて言ったら、ブラウザバックされてしまうだろうか。

 

 

「あの頃に戻りたい」

と、誰しもが思う。 現実はつらくきびしく、過去はいつだって温かな光で満ちている。しかし、どんなに懐古主義に浸ろうが、この世界にブラウザバックのコマンドは通用しない。無慈悲なものだ。



いや、本当にそうだろうか。

過去を思い返す能力は、人間に与えられし特権だ。

懐古主義に浸れるという事実こそが、ブラウザバックなのではないのか。そう思い、ぼくは記憶の海に潜る。



皆さんにとって、一番古い記憶はなんだろう。小学校?幼稚園?あるいはそれ以前?

ぼくの通っていた幼稚園には、ウサギがいた。白くてふわふわした、愛らしいウサギだ。ある日、ぼく彼女にエサを与えた。差し出された草をウサギは懸命に噛んで飲み込み、仕舞いにはぼくの指を噛んだ。



指から血を、目からは涙を流したぼくは、母にムーミンの絵柄の絆創膏を貼ってもらった。温かく、美しい思い出だ。



しかし、考えれば考えるほど曖昧になる。これは、本当にぼくの記憶か?アルバムに写真として残っているから、覚えている気になっているだけじゃないのか?



実際、どれほど痛かったとか、どの指を噛まれたとか、そもそも右手だったか左手だったかすら、覚えていない。

感覚として覚えていないならば、出来事を「知っている」だけだ。そして、なぜ知っているかと言えば、パソコンに写真が保存されているからだ。写真が、ぼくに「記憶」と錯覚させている。

そして、その写真は、インターネットを通じたクラウド機能で幾世代ものパソコンを渡り歩いて、ぼくの記憶を繋いでいる。それはまやかしのようでもあり、賞賛するべきことのようでもある。



つまり、データが記憶を作り、インターネットが記憶を繋いだのだ。



先程思い出してもらった、皆さんの「一番古い記憶」は、本当に皆さんの記憶だろうか。本当に?



感覚が伴うという意味では、ぼくの一番古い記憶は一つしかない。

人生で初めて「恥ずかしい」という感情を覚えた出来事で、今でも昨日のことのように思い出せる。これは、写真に残っていない。残っていたら、大変だ。



あれは幼稚園の年長、そして半ズボンだったことから5歳の出来事だ。

幼稚園では給食が支給されて、皆で着席して食べていた。ぼくもまた例外ではない。ただ、他の人よりも焦っていた。



ぼくは食べるスピードが早くなかった。

胃袋が小さいのか、皆が食べ終わっているのに自分だけ食べ終わっていない、という状況が多々あった。皆に見られながら食べるのは恥ずかしかった。いや、実際は誰もぼくを気にしてはいなかったろうが、それでも恥ずかしかったのだ。



その日、ぼくはおしっこを我慢していた。

限界に至るまでいくつものステップがあるはずなのに、尿意を意識した時には既に限界だった。電車が急停止するときのアナウンスに似ている。「急停止します」と言い終わる頃には、もう急停止している。「おしっこしたいかも」と思う頃には、もう限界だ。



運の悪いことに、限界を感じたのは給食を食べている最中だった。

5歳ながらも賢明かつ聡明、教育が行き届いていたぼくは、食事中にトイレに立つことが行儀の悪いことだと知っていた。



だから、限界を抱えながらも、トイレに立つことはしなかった。イスを左右にガタガタ言わせながら、懸命に箸を動かした。食べるスピードが遅いことが、心底もどかしかった。もう飲み込めるだろ!まだか!あと何回噛めば飲み込める!次!しまった入れすぎた!噛め!お茶で流し込む!まだか!まだ飲み込めないのか!

ぼくの体は、ぼくの予想の5倍くらい噛まないと飲み込めないようだった。迫る尿意。イスをガタガタと揺らす。揺らしていないと、出てしまう。人は漏れそうなとき、じっとしていられないものだ。逆に、揺らしてさえいれば出ないと、このときのぼくは信じてさえいた。



思うに、限界は越えられないからこそ限界なのだ。

たまに、限界を越えろ、なんてセリフを聞くが、越えられるのならばそれは限界ではない。

だから、漏らすのは仕方のないことであり、必然でもあった。



動かすことをやめたイスの下に、静かに水溜まりができていく。それとも、尿溜まり、とでも言うべきだろうか。

びちゃびちゃと音がするようなことはなかったから、黙っていればバレないんじゃないかと、ぼくは思った。年長にもなって漏らすのは恥ずかしいことだと、漏らした後で、思った。



尿溜まりは広がっていたが、ぼくは何気ない顔で給食を食べ続けた。続けようとした。しかし、隣の女の子が気付いてしまった。ぼくは今でも彼女を恨んでいる。



「おしっこ?」



純粋な瞳で、ぼくに問う。

違う、と言いかけて、俯く。違わない。わかっている。



先生がやってきて、ぼくをトイレへと連れていく。その様子を、クラス全員が見ていた。

違うんだ。ご飯中にトイレに行くのは行儀悪いって、そう思ったから、だから、仕方なかったんだ。

言い聞かせても、惨めな思いは消せない。人前で粗相をすることの恥ずかしさを、初めて知った瞬間だ。去年までは、何とも思っていなかったのに。人はこうして成長し、進化を遂げてきたのだろう。



これは、紛れもなくぼくの「記憶」だ。

データとインターネットによって残り続けるものではない。ならば、ぼくさえ忘れてしまえば済む話だ。



過去を思い返し、

「あの頃に戻りたい」

と、誰しもが思う。いつだって現実はつらくきびしく、過去は温かな光で満ちている。



本当に?

満ちていたのは、温かな尿溜まりだけだったじゃないか。