とらの徒然

ネコ科のペンギン

水俗館

水族館は、水族の館なのであって、人間が水や俗に染まる場所ではない。
と、小学校で習わなかったのだろうか。


エントランスの前のベンチでは、女の膝枕でtake a napをしている男がいるし、水槽の前の男は、傍らの女の髪を梳いている。
繰り返すが、水族館は、水族の館なのであって、人間が水や俗に染まる場所ではない。


周りを見れば、カップルしかいない。
少々うんざりしながら、いやうんざりするのもおかしな話なのだが、エントランス近くのベンチで連れを待つ。さっき、膝枕星人を発見した場面だ。


ここには、3人がけくらいの大きさのベンチが、全部で7つくらい置いてある。
誰も座っていないベンチが半分くらいで、残り半分はカップルが占拠していたり、美女が1人で佇んでいたりする。


おれは誰も座っていないベンチを目指して美女の前を通り過ぎ、思い直して、数歩戻って美女のいるベンチに腰掛ける。
そう。それくらいの抵抗しかできないのだ。世界は雄大で、おれは弱い。


おれは、ショートカットの女の子が好きで、その子も例外ではなかった。
可愛い、と言えば可愛いのだが、そこに甘えや媚びはなく、凛として背筋の伸びた姿勢が眩しく見えた。ちらりと横目で盗み見る。んー、可愛さと強さのハイブリッド。世界は雄大。彼女が優勝。おれは、弱い。


彼女がカバンから本を取り出して、読み始めた。
ので、おれも同じことをした。ミラーリング効果、と脳内コンピュータが囁く。


微塵も面白くない小説だったが、同じ空間で、同じ動作をしていることに、微かにではあるが、誇らしさと気恥しさを感じる。それは相手も同じだったようで、ちらりと送った視線がぶつかったとき、はっとした。少々のぎこちなさを伴って、驚きが微笑みに変わる。好きだ。瞬間、心臓が跳ね、世界は2人を中心に音速を超えて拡大し、彩は溢れ、澄み切った空が祝福の鐘を鳴らすかに思えた。つまり、恋愛の萌芽と呼ぶべきものが、今、ここにあった。


なんてことは、まるでない。


そんなことを言っていたら、これから来る子がむくれてしまう。そんなわけないか。少なくとも、今は、恋人ではないのだから。


当の待ち人が来て、長崎のお土産であるカステラを無愛想に渡して立ち上がったとき、おれは無意識のうちに「じゃ」と言っていた。
言ってから気がつく。
おれはベンチの美女とは知り合いではなかった。「じゃ」もクソもない。別れの挨拶は要らなかった。連れに向かって、「じゃ、行こうか」と平然と続ける。あなたへの別れは、心の中で告げておこう。


水族館に入ると、予見した通り、カップルだらけだった。しかしどうだろう。自分ら2人も、周りから見ればそうなのだろうか。誰かの目には、幸せなカップルとして映っているのかもしれない。
クラゲコーナーのイルミネーションに「綺麗だね」なんて言い合う様は、確かに、それらしい。


自分が恵まれた立場にいながら、周りを羨んでしまうのは悪い癖だ。隣にいてくれる人への感謝を、つい、忘れてしまう。
カップルを見れば「爆発しろ」と思う回路は、最早意識とは切り離されているし、美女を見て憧憬と劣等感を抱くのも、おれの関知するところではない。長年の習性だ。それも、いつか薄れていくのだろうか。だといいな、と思う。ベンチの美女にだって、あんな想いを抱く必要なんて、もうなかったのに。


肩を並べて、水のトンネルをくぐり抜ける。
ペンギンの水槽の前で、男が女の髪を梳いている。女は気にしない素振りで話しているが、顔は愛される嬉しさを隠せていない。
「爆発」と思いかけて、首を振る。また悪い癖だ。いい加減、治さないと。右隣の人に失礼だ。


おれも、同じことができるだろうか。
幸せに見える、実際はどうか知らないけれど、少なくとも周りからは幸せに見えるカップルに囲まれて、思う。
おれも、同じことができるだろうか。
おれたちは、彼らと同じだろうか。
右手を見る。
少し身長の低い、あなたのつむじが見える。


いいや、できない。それは違う。
さっきも言った通り、おれたちは、少なくとも今は、付き合っていない。


いいや、それ以前にーー。
「おい、あの水に飛び込もうとしてるペンギンにアテレコしようぜ」
右隣の『彼』が言う。おれは、ゲイではない。