とらの徒然

ネコ科のペンギン

お題『きみに恋したあの日から』ver.1

お題『きみに恋したあの日から』

条件[不安にさせないで/絶対に落としてみせる/どう足掻いても、結末は変わらないの]

ランダムで選ばれた文字列を使って小説を書く企画です。素人なんで大目に見てください。

 

 

 

 


「あなたが誠実な人だってことはわかってるの。そうじゃなきゃ結婚してない。でもさ、不安になるものは仕方ないじゃない。こんなこと言って重い女だ、なんて思うんでしょう。わかってるわよ。あたしもそう思う。毎日一生懸命仕事してくれてるのはありがたいよ。わかってるのよ。わかってるけど、朝から晩まであたしはずっと独りなの。家にいてもなんにも楽しいことはないし。あなたは会社で好き勝手できるかもしれないけど。楽しくていいでしょうね。あたしの気持ちがわかる?いいえ、あなたにはわからないと思うわ。バカにしてるわけじゃない。あたしだってこんなこと言いたくないわよ!でもなんであたしばっかり…」

 

 

徐々にヒートアップしていく女の話を、男はただじっと聞いていた。

ソファに背を預け、手を開いて、閉じて、開いてを繰り返して、嵐が過ぎ去るのを待つ。

女の話を聞くのは嫌いだ。

口を開く前に整理してほしい、と思う。思い付きのままに当たり散らすのは、少しわがまますぎやしないか、とも考えたりする。

 

 

しかし、それもいつしか諦めた。

女は頭が悪いのだから仕方ない。

自分に言い聞かせて、女の言う通り、男はできる限り誠実に向き合ってきた。

思考の海に沈んでいる間も、女の話は続いている。

聞いているフリをしていればいいのだ。女は意見の交換を求めない。ただ聞いてほしいだけの、浅はかな動物だ。

これは6年も生活を共にして、たどりついた「答え」だ。

時折相槌をはさみながら、雨は中々降りやまないなとぼんやり思う。

 

 

「それで?」

 

 

けれど、人間は太陽を待つばかりではない。雨が降っていれば傘をさすし、車だって運転する。

いい加減、結論を出してほしい。

 

 

「おれはなにを直せばいい。きみの気持ちはわかった。いつも苦労をかけてすまない。感謝もしている、ありがとう」

 

 

こう言っておけば凌げるだろう。

夫婦円満の秘訣は、夫の我慢だ。

 

 

「でも、おれもわからないんだ。おれはなにをしたらいいのかな」

「なにかをしてほしいわけじゃない。その…ごめんなさい。あなたに不満を感じているわけではないわ」

 

 

これだ。

いつもこれだ。

自分ばっかり好き放題言って、結局中身は空っぽだ。

結局なんだった?今の時間はなんだった?

伝えたいメッセージがないなら、最初からしゃべるなよ、クソが。

 

 

「そうか。部屋に戻るけどいいかな。夕飯は、今日はいらない」

返事を待たず、階段を昇る。

2年前に買った我が家。

きみに恋したあの日から、いつか華やかな家庭を築くことを夢見ていた。

働いて貯蓄を増やし、ローンを組んで念願の我が家を建てた。家具もすべて揃えた。なのに何故、肝心なものがなくなってしまったのだろう。

 

 

書斎の扉に寄りかかるように腰を下ろした。

もう、疲れてしまった。

夢も希望もない。こんな家がなんだっていうんだ。

この家は二人の愛の巣だ、なんて笑いあっていたのに。

あいつはどんな気持ちで、この家に他の男を招き入れたっていうんだ。

 

 

夫婦円満の秘訣は、夫の我慢だ。

おれはよくやっている。本当によく、頑張っている。

零れ落ちる涙で膝が滲む。

 悔しくて、悔しくて、たまらない。

 

 

「どう足掻いても、結末は変わらないの。あなたはあたしと結婚することになるわ」

 

 

告白してきたのは女の方だ。

知り合ったのが25歳。職場での立ち振る舞いも慣れてきて、後輩の指導やしりぬぐいの日々だった。

女は二つ下の後輩で、突然おれのデスクに来ては、「先輩今夜ごはんを食べましょう」なんて言った。

うれしかった。本当に疲れていたから。

職場で明るく優しく振る舞う反面、家では暗い顔ばかりだったから。

もうどっちの自分が本当の自分なのかと、ずっと悩んでいたから。

女の誘いが神の啓示に思えたんだ。

 

 

その晩、シングルベッドの上で、女はおれの胸に指を這わせながらあの言葉を放った。

おれはなんと答えればいいのかわからなくて、眠ったフリをしていた。

「あなたはあたしと結婚することになるわ」

頭の中で反響する。

とても幸せで、にやける顔を見られたくなくて、おれは寝返りを打ったんだ。

 

 

「ごはん、食べない?」

扉の向こうから、遠慮がちに声がする。

記憶をかきむしるイヤな声だ。

黙っていると、すすり泣く音が聞こえた。

「ごめんね…ごめんね…本当にごめんなさい…」

なんでおまえが泣くんだ。おれは我慢したのに。おかしいじゃないか。

 

 

きみに恋したあの日、なにがあってもきみを許してしまうんだろうなと予感した。

この家以外に、おれの居場所はない。

この人以外じゃ、ダメなんだ。

 

 

「絶対に落としてみせる」なんて、一人で決意を固めた過去が、昨日のことのように思える。告白してきたのは女の方だったけれど、本当におれのことが好きなのか?と不安だった。不安だったんだよ。頼むからあんまり不安にさせないでくれよ。おまえに惚れられるような男になりたいってずっとずっと思ってた。だから嫌われないように、おれは頑張ってきたんだよ。なのに。

 

 

違う。

おれはそんなことを望んだんじゃない。

おれはもっと、本気で、心から、おまえに向き合っていたかった。

会社でも家でも偽りの笑みを浮かべてどうする。

違うだろ、おれの望んだものは!我慢して何になるってんだ! 

 

 

立ち上がり、ゆっくりと扉を開ける。

涙にぬれた大きな目が、おれを見上げる。

きっとおれも、同じ顔をしているんだろう。

 

 

「もういいよ」

それだけ伝えて、愛する人を抱きしめた。