とらの徒然

ネコ科のペンギン

バタックブラスト

6がつ13にち しんや3じ4ふん

そうしんしゃ 匿名

あなたに質問が届きました!

 

 

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「おっぱいとおしりどっちが好き?どんなのが好きかも教えて」

 

 

>>回答する

「ここでは語り尽くせないので今度ブログに回答すると約束しよう!」

 


非常に大きな問題だ。

きっと、あなたが想像するよりも遥かに世間を揺るがす問題だ。

男がひとたびこの問題に立ち会い、頭を悩まれせば三日などあっという間に過ぎる。

「男子、三日会わざれば刮目して見よ」という諺があるが、これは三日三晩この難問に悩み、ついぞ答えを見出した者を指す言葉なのだ。

また、男が寄り集まってこの話題になれば、80%の確率で殴り合いに発展することが知られている。

 

 

私は今日一日中、ずっと考えていた。

塾で講師として数学を教えているときも、頭の中は胸と尻の大戦争だ。「3」や「8」という数字が出てくるたびに私は立ち止まり、その形に思案した。

 

 

一つだけ言っておくが、私が結論を出すことで戦争を招きたくはない。

私の意見に賛同できない者も多かろうが、そこは寛大な心で世界平和に協力して頂けると期待して、以下に返答を記す。

 

 

結論から申し上げると、私は圧倒的に「尻」派である。

しかし、そこには当然ながら条件が付き纏う。

もし生半可な尻ならば、私は見向きもせずに胸を愛し続けるだろう。

 

 

「生半可な尻」というのは大きさの話ではない。

では、何を指すのか。

それは形だ。現に、形のよい尻は世界平和の象徴とされている。

具体的にどういったものを想像しているかを文章化できないのがもどかしい。

人は芸術作品に圧倒されたとき、言葉が出ないものなのだ。



実のところ、今回の記事を書き始めた段階では、胸で結論を出すつもりだった。

しかし、1000字ほど綴ったところで考えを改め、その文章を削除した。

歴代の豪将が自らの過ちを認め、より仁義を携えた徳人に心を捧げるのと似ている。

 

 

なぜ胸の方がいいと思ったのか、浅はかだったと言う他ない。

確かに、ぱっと見で興味を唆られるのは胸かもしれない。

なぜなら、私には持ち得ないものだからだ。人は自らが持たぬものに憧れを抱く。しかし、大の大人になってまで胸にしゃぶりついているのは、あまりに愚かで短絡的だと思わないか?

 

 

一方で、尻を愛し求めるのは、賢さに溢れている。

誰もが一度は胸に興味を抱く中で、己の本質に気づいた者だけがそこに立つことが許される。

当然ながら、胸にも最高級の芸術はある。だが、少なくとも私にとって、最高級の尻には遠く及ばない。

目の前に最高級の胸と最高級の尻が並んでいたら、私は迷わず尻を撫でるだろう。

 

 

先程も申し上げた通り、芸術を語るのに理由はいらない。

人は答えを用意して芸術を求めるのではなく、芸術に答えを求めるのだ。

 

 

質問者の要望に完全な形で答えられないのは本当に心苦しいが、最後に今一度、はっきりと申し上げておく。

私は尻が好きだ。