とらの徒然

ネコ科のペンギン

就活と安寧(6)

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就活だけが、おれの安寧を奪う。


3月1日。
ついに人生をかけた一大イベントが解禁される。ズラリと一列に並んで呼吸を整えていた就活生たちは、空高く鳴り響く銃声に一斉に前へと走り出すーー。


なんてことは、まるでない。
後ろに向かって走り出すやつもいれば、既にフライングをキメて遠くを走っているやつもいる。
結局は、3月1日の銃声などお構いなしに各々が就職活動をしているのではあるが、やはり銃声が鳴れば気になるのが人間というものだ。
なんとなく周りを意識して、ぴりぴりし始めることだろう。


さて、おれもまた、望みもしないレースに投じられた哀れな就活生である。
とはいえ、既にこのブログのタイトルが(6)まで続いていることからもわかるように、ある程度フライングをキメている状態だ。実のところ、内定も一つ得ている。就職浪人を逃れたことでおれの目的は達成を迎え、もう就活を終わってもいいとまで考えている。
完走していないけれど勝負を降りるーー俗に言う、リタイアというやつだ。


実際、どんな企業で働こうが仕事内容はさほど変わらんだろうし、どうせキツいし、だからどこに就職しようと構わない。それに、辛い思いをしてまで就活続けたくないしね。
就活に限った話でもない。
楽して生きて、二進も三進もいかなくなったら潔く死のう、と日常的に考えている。それを一言で表せるとしたら、「安寧」だ。


しかし、常に死と隣合わせの人生は辛かったりもする。
発狂しそうになることだってよくある。
頭を抱えて奇声を発して、手当り次第に光物で傷つけて回りたい衝動に襲われる。
どうせいつか死ぬんだから、なんでも出来るんじゃないかと思うことがある。全能感、というやつだ。
恐れることなんて何も無い。やっちまえ、と頭の中で声がする。
明日に執着しないおれは、いつしかその声に抗えなくなるのだろう。
犯罪者が捕まるニュースを耳にする度、いつからか被害者ではなく加害者に感情移入するようになった。
確かにその事件では加害者だったかもしれないが、それまでの人生で、彼はどういった想いを抱えてきたのか。彼はずっと、被害者だったかもしれないのに。鬱憤を晴らす場所もなくて、我慢を強いられてきたのかもしれないのに。
他人に害を為すことは責められて然るべきだとは思う。ならば、世渡りが上手くない人はどう生きればいい?
ひっそりと耐えて耐えて、また耐えて、緩やかに死を待てばいいのか?
いつだって死にたいと感じていて、生きる理由なんてなくて、かといって今死ぬ理由もなくて、明日を迎えるのが億劫で、毎朝布団の上で起き上がって何になるんだと自問し、締め付けられるような痛みを抱いたまま夜になって、人生の意味を考えて、2秒後に結論が出て、何か心が踊るようなことをしたくて、しかしそれが社会に許されないことだったとして、必死に自分を宥めて、でもやっぱり起きる理由も寝る理由も生きる理由も死ぬ理由もない、本当に自分がしたいことすらわからず、社会の歯車になって翻弄され溺れて目が回って、もうなんでもいいや終わらせてしまおう最後に一回勇気ある行動をしてみようかと思い立って珍しく生気ある顔つきで布団から立ち上がったのなら、おれはその人を、かっこいいと思う。


就活は、おれの安寧を奪わない。
安寧は案外頑丈で、自分の手でぶち壊さない限り、ゆるやかな死を齎すだけのかもしれない。


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