夢日記 20200413
「おいおい間に合わねぇじゃんか!」
「言ってる場合かよ!走んぞ!」
「おまえが待ち合わせ時間間違えたからだろがっ!」
電車から降り、改札を抜け、バス停へ。
澄み渡る青空。絶好の遠足日和だ。
そして、走るのには向かない。暑いから。
なーんて言ってらんない!
バスの発車時刻まで、あと1分に迫っていた。
おれとそいつは全速力で走る。
そいつの方が足が速く、おれが後を追いかける形になる。
何故、名前を出さないのか?
夢あるあるで、顔も名前も覚えていないからだ。
人は全力疾走をするとき、息を止める。
そして、堪えきれずに息を吐き出し、続いて吸い込もうとするが、走り続けている間はそんな簡単な動作がやけに難しかったりする。
バスが動き出すのが見えた。
“そいつ”は、間一髪でバスの壁によじ登り、乗車に成功した。
おれは3秒、遅かった。
肩を上下させながら、虚しくバスを見送る。
「間一髪でバスの壁によじ登り」を読んで、“そいつ”はどれだけ常識のない奴なんだ、と思った方もいるかもしれない。
が、そうではない。
バスの方が非常識なのだ。
そもそもアレをバスと呼ぶのにも抵抗がある。
見た目にそぐう言い方をするなら、動く要塞だ。
重厚な石でできた直方体で、扉はない。
ならどこに乗るかというと、屋上だ。直方体の上に乗る。
そして、誤って落ちないように壁がついている。
通常は梯子で乗降するのだが、まさに発車する瞬間であったために、梯子は撤去されていた。
そいつはよじ登るしかなかったわけだ。器用なヤツだ。
こんなものが、この世界では当たり前のように「バス」として存在している。やたら防御力が高そうだが、一体何が襲ってくるというのだろう。それを知ったころには、もう襲われた後なのかもしれなかった。
ガリガリともゴロゴロとも取れぬ不思議な音を地に響かせながら、ゆっくりとバスは進んでいく。改めて、バスの遅さに驚く。人間が走った方が速いレベルだ。なら、追い付くことも可能だ。
バスの後に続いて走る。走っているバスによじ登ることは流石に出来ないので、ただ走る。
バスの中、いや、バスの上にはクラスの皆がいて、走るおれに大きく手を振っている。
振り返す余裕はない。ので、代わりに苦笑を返す。
疲れるが、立ち止まるわけにもいかない。
一度バスを見失えば、目的地にはたどり着けないだろう。
因みに、バスに運転手はいない。タイヤもない。
直方体の上は人が乗るスペースだが、直方体の中はどうなっているのか、誰も知らない。詰まっているのか、空洞なのか。動力源は何なのか。
なんとなく、詮索してはいけない雰囲気があった。
バスが斜面を上り始めた。
結構急だ。20秒ほど後に続いて走ったが、諦める。
だって先が長すぎるんだもの。なんか山の上に向かって走ってるっぽいし。無理だわこんなん。
クラスメイトに叫ぶ。
「後で行く!」
クラスメイトはニヤニヤしながら手を振った。暢気でいいな、まったく。
さて。どうしたものかと地面を見る。
ん?
ここは地面も石造なのか。バスの壁とよく似たーーいや、同じタイプの造りだ。
そして周りをよくよく見渡せば、石造のトンネルのようなものが、万里の長城みたく山頂へ続いている。
都合のいいことに、トンネルの石の壁に入り口が見えた。
「薄暗!そして寒!」
トンネルの中に明かりはなく、石の壁の隙間から僅かに漏れる太陽光のみだ。
冷たい風が吹いていて、なんとも不気味な空気が漂っている。
あー、と声を出してみると、すうっと暗闇に呑まれていく。
不気味だけれど、山の斜面を上るよりは、このトンネルの中を進んだ方が楽そうだった。トンネルの中は緩やかな階段だったからだ。個人的に、坂より階段派だ。
一歩ずつ進む。
足音が響く度、背筋にぞくぞくと悪寒が走る。やべぇ。絶対やべぇ。絶対何か出る。霊的な何かが。
引き返したくなるが、山頂へ向かわないとクラスメイトと合流できない。
しばらく進むと、自分のものではない足音が、闇の奥から聞こえた。
急に立ち止まるのも恐ろしく、慎重に前へ進む。
すれ違う。よかった。ただの人だ。というかこの道使う人いるのか。でもなんでだろう、全く安心感がない。
歩いていると、およそ10分に一度は誰かしらとすれ違った。
そして、その誰もが、虚な目をして独り言を呟いていることに気が付いた。
おれはやっぱり外に出ようと思った。
そう思ったとき、気がつく。
あれ?
おれが入ってきた入口以来、一度も出入り口を見ていない。
いや待て、その前に。
おれが入ってきた入口に、ドアはなかった。ただぽっかり人が通れるだけの穴が空いてただけだ。
入って、トンネルの中を見回したとき、明かりはなく、石の隙間から漏れる太陽光のみによって、視界が保たれていた。
唾を飲む。
本来なら、入口から光が入ってきて然るべきではないか。
おれが立って通れる穴だ。そんな大きな光を見逃すはずもない。あの穴は。おれが入った瞬間に消えたんだ。
一刻も早くここをでなければ。焦りが心音となって鳴り響く。
後ろから何かが追いかけてきている気がして、たまらず走りだす。
鳥肌が止まらない。
心音に足音と呼吸音が加わって、「ここに人がいますよ。襲ってください」というアピールになっている気がしてならない。けれど、走らずにはいられない。
そして、目にしたものに驚き、はたと立ち止まる。
「行き…止まり……?」
壁があった。
これ以上は進めません!とでも言いたげな、壁。
え、壁?え?
受け入れられず、壁を撫でる。石のざらりとした感触が冷たい。
どこかに穴はないか?
隅から隅まで目を光らせてみる。
すると、足元に隙間が空いているのがわかった。腹這いになってギリギリ通れるくらいの。
よかった!
即座に腹這いになるーー前に、後方確認。何もいないな。
腹這いになって、向こう側の様子を伺う。
こちら側と同じ、薄暗いトンネルが続いている。しかし緩やかに右にカーブしていて、遠くまでは見渡せない。
行こう。行くしかない。ずりずりと這って、壁を越える。
一息ついたとき、カーブの先から人が現れた。
ギクリ、としたが人間だ。
長い髪に白のワンピースの女だ。壁を抜けた達成感で気分が高揚していたおれは、親切にも声をかけてやることにした。
「これ、下くぐれるみたいですよ」
そう言って足元を指差す。
女は驚いた顔でこちらを見ると、一拍遅れて「ああ」と溢した。
「そうなんですね、ありがとうございます」
「いえいえ」
こんな不気味なトンネルでも、人と会話するといくらか気分が安らいだ。
女はペコリとお辞儀をして、おれが数秒前にやっていたように腹這いになって、向こう側へ進んでいく。
じっと見ているのも気が引けて、おれは歩き出すことにした。
そういえば、今の女、やたら顔が白かったな。
そして、何より、目に生気がなかった。
上から降りてくる人はみんなそうだ。一体この先何がーー。
嫌な予感がした。
足を止める。
振り返る。
壁。
壁の下の隙間。
その隙間から、白い素足が見えた。
女は、壁の向こうに、立っている。こちらを、向いて。
どうして、歩き出さないんだ。
「な、なぁ。なんでそこに突っ立ってるんだ?」
足が震えて仕方がないので、声を出す。声も震えているが。
あっと思った時には遅かった。
滑るようにこちらに戻ってきた女は、白の平面となっておれに襲いかかる。
後悔する時間もなく、意識が途切れた。
気がつけば、おれは花を見ていた。
花壇にたくさん植えられた、小さな花だ。
見ているのはおれのはずなのに、おれが見ている気がしない。
ここはどこだろう。
上を見ると、曇り空が見えた。
左右を見ると、柵の向こうに林が見えた。
前後を見ると、ここが道路だとわかる。緩やかな登り坂だ。コンクリートを爪先でコツコツと叩く。
道の真ん中に花壇があることを、不思議には思わなかった。
不思議に思うってことがわからなくなっていた。
意識がはっきりしない。何も考えられない。
自分の腕が見える。「腕が見える」なんて普通は思わないはずなのに、そう思ってしまった。
これは自分の腕なのか。そうだよな。ずっとそうだった。
直径30cmくらいある、丸太のような白い腕。
その先についている、肉を切り裂く爪5つ。
ずっと、自分の腕だ。いつからおれの腕なんだろう。何を言ってるのか分からなくなってくる。
坂道の向こうに、子どもが見えた。
見えた、の直後、おれの足は地面を蹴っていた。意識は戸惑っているのに、身体が勝手に動いている。
目を見開く子どもの上半身を、右手の爪だけで削り取る。血飛沫が白き体毛を染める。
確かな満足があった。
おれが咆哮を上げている。
二足歩行の白き獣は、更なる快楽を求めて、一本道を疾走する。
次の獲物はすぐに見つかった。
さっきと同じくらいの大きさの子どもが、左のフェンスをよじ登って林へ逃げようとしている。おれは勢いを殺さずに今度は左の腕を振る。血飛沫。咆哮。
立ち止まらず、最高速度で駆ける。すれ違いざま、ぎょっとした顔のサラリーマンから血飛沫が上がる。快感。快感。快感。おれの爪は滑らかに、豆腐でも刻むように、その肉を削り取る。快感!快感!快感!
トップスピードで走っていると、自分が青空の下、畦道を駆けているイメージが浮かんだ。
なぜか、おれは薄橙色の肌をしていて、腕は細っこく、爪は丸みを帯びていて薄っぺらい。
緑と青の境を目指して、風になっている。
幸福だ。思わず笑顔が溢れる。
繋いだ右手の先にも、笑顔。この子はおれの妹だ。
こうして妹と2人、どこまでも走って行けたら。いや、どこまでも走って行ける。
あれ。
ふと、おれに妹などいなかったような気がした。
でも今ここにいるこの子は、紛れもないおれの妹だ。一体誰の記憶が混ざったんだろう。
しかし、そんな違和感もすぐに消えてしまう。深く考えるのは疲れる。
「止まれ!」
鋭い声に驚き、思わず足を止める。
黒い金属を身に纏ったニンゲンが、おれを囲んでいる。
8人。
それぞれが黒くて細いものを、こちらに向けている。そんな細い身体で、そんな細い金属で、何ができるというのか。
彼らを見下ろしながら、不思議な感情に支配された。
それを哀れみと言うのだと、頭の奥で誰かが言った。
ああ、哀れだ。こんなに小さく弱い生き物なのに、おれに立ち向かおうとするとは。
彼らの掲げる黒い金属から、バンと音がしたかと思うと、チクリと痛みに襲われた。
見ると、おれの身体から、血が漏れ出ている。
おれの身体から、血が?
おれは血を見る側のニンゲンだ!出す側のニンゲンじゃない!!
自分がとうにニンゲンの風態ではないことなど気がつかない。怒りに任せて暴れた。
多少は武装したつもりかもしれないが、圧倒的な力の前にはなんの意味もない。すぐに彼らはぺちゃんこになって、肉塊となった。おれは再び、咆哮を上げる。
おかしいな。首を捻る。
高揚感がなかった。
あれ、さっきまで右手を繋いでいたのは誰だったっけ。どんな顔してたっけ。思い出せない。
おれはどんな顔だったっけ。思い出せない。何も思い出せない。
走る気も無くなって、ぼんやりと歩く。
ニンゲンとすれ違ったが、殺そうとは思わなかった。ただぼんやりと、あてもなく進む。
いつしか、街にたどり着いた。
甲高い声を上げて、ニンゲンが逃げていく。
その中の一人が立ち止まり、振り返る。
「お兄…ちゃん?」
今、なんて、言った?耳が、よく、聞こえない。ぐわんぐわんと音が反響して、何もわからないんだ。もう一回、言ってくれないか。
視界が90度傾いた。
おれは倒れていた。口から血を吐く。何か言いたかったが、この喉は吠えることしかできない。何も伝えられない。目から涙がこぼれた。それを涙と呼ぶのだと、おれは何故か知っていた。
少女が駆け寄ってくる。おれは死んだ。