とらの徒然

ネコ科のペンギン

夢日記 20200109

文化祭の前日、ぼくらは準備をしていた。
今回の舞台が中学なのか高校なのか、はたまた大学なのかは定かではない。なぜなら双方のメンツが混在していたからだ。一つ、確実なことがあるならば、ぼくらが使う教室の構造が、家の近所のセブンイレブンと同じだったということだ。


教室はU字型をしており、ちょうどこのアルファベットの書き順が順路になっていた。つまり、左上が入口で、ぐるりと回って右上が出口。中空の空間は不可解なことに存在せず、壁に区切られた謎の空間と化していた。しかし夢の中のぼくらはこれを当たり前として気にも止めない。ともあれ、今回の話で重要になる点は、入口近くに立っていると、曲がり角の先が一切視認できない点にある。


そんな特殊な教室でぼくらは何をやろうとしていたのか、残念ながらそこは全く記憶にない。ただ、この日、数字の書かれた紙を量産していたことは覚えている。そして、くじ引きの要領で客に選んでもらうためだということも。あと、景品としてお菓子を用意し、かごに入れた。スーパーで売っているような安物のスナック菓子だ。


U字の左の直線はただの通路で、楽しませる工夫も何もない。客には曲線のあたりで番号つきの紙を選んでもらい、右の直線を通って会場を後にする。右の直線には何かしらの細工が施されていて、そこが見所なのだろう。


ぼくは盛り上がりに欠ける人間で、うまく集団に馴染めていない。順応はできているのだが壁を作ってしまう。誰とでも喋れるが、誰とも親密ではない。少なくとも「こいつとは仲がいい」と思える人は、今回は登場しない。
現に、一人の例外を除いて、事務連絡以外で話しかけてくる人はいなかった。ぼくとしても、人間関係は淡白な方が都合がいい、くらいに思っていた。


因みに一人の例外というのは、とても「優しい」女の子だ。分け隔てなく、皆に優しい。毒を吐くところを見たことはないし、清らかな心で満ちている。そんな聖人君子みたいな人がいるとは信じられない、というか信じたくないので必死に粗を探しているのだが、未だ尻尾を見せない。すごい才能だ。
そしてその子が、誰と仲良くするでもないぼくに気を遣って話しかけてくれることが、ぼくにはよくわかっていた。嬉しいが、正直鬱陶しい。誰にでもいい顔をする人間は少し、苦手だ。


状況描写を終えたところで、翌日、文化祭当日。
ぼくはU字の入口に立っていた。正確には入口から5歩ほど中に入ったあたり。入ってきたお客さんに「そのまままっすぐお進みください~」と声をかけ続ける係だ。頭を使わないし会話も発生しないので、実にぼく向きな仕事だった。


心を無にして同じ文言を繰り返す。曲がり角の向こうはどんな様子なのか、見えないので知る由もない。途中、例の「優しい」女の子が労いに来た。


「とらくん、元気にやってる?」
この子は話しかける時、必ず最初に相手の名前を呼ぶ。ぼくはいちいち相手の名前を呼んだりしないから、なんだか変な感じだ。呼びかけるときは、「ねえ」で足りるし、会話内では二人称でいい。


女の子は終始笑顔でとりとめもない会話を一方的に、しかし楽しそうに、かつこちらを気にかけた様子で行い、じきに満足したのか、足取り軽く中へ去っていく。ぼくは背中を見送りながら、またしても惨めな気持ちになる。別に気を遣わんでもいいのに。そんなに哀れか、ぼくは。


「そのまままっすぐお進みください~」と言い続けて数時間後、『鬼』が入ってきた。
文化祭のイベントの一環であり、『鬼』役の人に触れられたらゲームオーバーとなる。客は対象外で、学校側の人間のみが追われる対象となっている。つまり、ぼくも対象だった。


今回の『鬼』は小柄だった。子供?
ぼくは傍にあったクローゼットの二段目に飛び乗る。そして、『鬼』がぼくを捕まえようとと手を伸ばす度に、軽くジャンプする。眼下の『鬼』は「バカにすんなーー!」とぴょんぴょん跳ねて怒っている。


数分間飛び跳ねると疲れたのか、『鬼』が諦めて立ち去って行った。立ち去ると言っても教室から、ではない。あくまでぼくの前から、だ。
『鬼』はU字の中へと入っていく。クラスメイトが捕まるかもしれないが、止める義理はない。しばらくは騒ぎになるだろう。どさくさに紛れてサボれるいい機会だと思い、ふらふらと外へ出る。


ぼくは隣に建っている建物に足を踏み入れた。そこは無駄に大きな倉庫で、薄暗く、空気も悪かった。古いサッカーゴールや野球用グローブが転がっているのを横目に、ずんずん奥へ進む。目的のブツはテニスラケット。仕事に飽きたのでテニスでもして気分転換を図る心づもりなのだ。


行く手に人影が見えた。またか。会話らしい会話は今日こいつとしかしてないな。
その子はぼくを認めるといつものように嬉しそうに、まず名前を呼ぶ。
「とらくん、テニスするの?」
「あぁ」
「これ使う?」
並んでいるラケットのうち一本を取って差し出してくる。はにかんで小首を傾げているところなど、本当によくできた仕草だ。


「いや、それは硬式用だよ。いちょう…この穴の部分が正三角形っぽいだろ。ぼくが使うのはこっち。軟式用、細長い形の方だ」


言った後で、後悔する。無駄口を叩いてしまった。つい流されてお喋りに付き合ってしまうあたり、ぼくは中々ちょろい男らしい。目を輝かせて頷いている彼女を見ていると何かを持っていかれそうで、ぼくは黙って軟式用ラケットの方へ向かう。背後から聞こえる足音から、彼女がついてきていることがわかる。ちゃんとついてくることに安心する自分に腹が立った。鬱陶しい鬱陶しいと言い聞かせるように脳内で反復する。


倉庫内の備品に期待してはいけない、とはわかっていた。誰かが使い捨てたようなものが保管されているだけなのだから。案の定、最初に掴み取ったラケットはグリップの部分がねちゃねちゃしていて気持ち悪かった。何本か握ってみてマシなものを見つけると、「じゃ」とだけ言ってすたすたと出口へ向かう。「うん、行ってらっしゃい」と声がかかる。ぼくは振り向かない。


歩きながら、彼女が何故ここにいるか聞き損ねたな、と思った。が、おそらく『鬼』から隠れていたのだろう、と結論づける。会話を避けて自己完結させる癖が、ぼくにはあった。


テニスコートではテニス部の連中が思い思いに練習していた。ぼくも彼らに倣ってサーブをパコンパコンと打ってみる。二本、三本と打ったがネットに引っかかったり、遠くへ飛んでいったりして思うようにいかなかった。一瞬で熱が冷めてしまい、すぐに教室へ引き返す羽目になった。


教室に戻ると、客足は途絶えていないようだった。ぼくが「そのまままっすぐお進みください~」なんて言わなくたって誰も困らないのだ。いてもいなくても大差ないポジション、望んだこととはいえ時々妙に寂しくなる。社会に出てもこうなのだろうか。ぼくがいなくても、歯車は回る。


なんとなくそのポジションに戻る気になれず、ぼくは中へと進んでいった。予定通り数字の書かれた紙がテーブルの上に広がっており、クラスメイトが3人、テーブルの向こう側でお喋りをしていた。その中には例の「優しい」女の子もいた。他の人とも楽しそうに話していることに安堵し、また少しだけ胸が傷む。そういえば、彼女はぼくがサボろうとしていたことを知っていたはずなのに何も言わなかったな、と今更思った。


何かすることはないかと視線を巡らせていると、テーブルの上のかごが目についた。その中のお菓子の数がだいぶ減っている。
「お菓子、買ってこようか?」
「お、マジで?助かるわー」
軽い調子で目の前の男が言う。背を向けて歩き出すぼくに、誰もついて行くとは言わない。そう、これでいいのだ。これで。


校門へ向かう途中、見知った顔が道を阻んだ。
『鬼』だ。
先程ぼくを捕え損ねた子だ。小さい身体を大きく見せようと頑張っているのは動物の本能なのだろうか。ぼくに向かって威嚇しているのが何とも可愛らしく思えた。


「さっきぶり。どうした、そんな所で」
「…」
「そういやクラスの連中は捕まえられたのか?」
「…お菓子をくれたので見逃してあげました」


苦虫を踏み潰したような顔で悔しそうに言っている。身体だけじゃなく頭まで子供みたいだ。あ、そうか。こいつにお菓子あげたから、かごの中のお菓子がなくなりそうになってたのか。


なんだか急に不憫に思えてきて、捕まってあげてもいい気がしてきた。そもそもこの『鬼』という役割はなんのために存在しているのか。捕まったらゲームオーバー、とは何が終わることを意味するのか、ぼくは考えもしなかった。知ってはいけない気もしたが、知りたいような気もした。


ぼくは威嚇を続ける『鬼』に肩をすくめて近づいていく。しかし、手の届く距離になったというのに、『鬼』は困惑した顔をするばかりで、ぼくに触れようとしなかった。


「捕まえなくていいのか?」
手を伸ばした。


『鬼』はハッとしてぼくの手を取った。
そして、ゲームオーバー。
景色が白い靄で薄れていき、ぼくは目を覚ます。いつもの天井だ。