とらの徒然

ネコ科のペンギン

Re:乙姫 前編

むかしむかし、あるところに亀が住んでいました。

いいえ隠す必要もないでしょう。竜宮城に亀が住んでいました。

 

 

亀はいつものように山へ芝刈りにーーではなく川に選択にーーでもなく、言ってしまえばいつものようにでもなく、珍しく水面に顔を出すと、なんということでしょう。

 

 

沖合から大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてくるではありませんか。

 

 

「手筈通り…だな」

亀は渋い声で呟くと、流れてきた桃を自らの甲に乗せて、どんぶらこどんぶらこと砂浜を目指すのでした。

 

 

 

 

 

   ※    ※    ※

 

 

 

 

 

砂浜では鉄砲を持った子供たちが待っていた。その数、三人。誰もが邪悪な引きつった笑みを浮かべており、今にも亀を虐めるシチュエーションになるかに見えた。

 

 

しかし。

 

 

「撃て」

 

声の主は亀である。渋い声を聞いて子供たちは一斉に引き金を引いた。

そう、狙われたのは亀ではなくーー亀が背負ってきた桃の方。

 

 

桃に銃弾が当たり、金属と金属がぶつかり合う鋭い音が響く。

音から判断するに果実の桃ではなく、桃の形をした金属製のカプセルのようだ。

 

 

そしてカプセルに亀裂が入ると、中から元気で大きな声がーー。

「おぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ」

「茶番はいらねえよ馬鹿野郎。さっさと出てこい」

桃型のカプセルから出てきたのは、真っ赤な肌をした鬼が一匹。亀はそれを視認すると早速鬼に問いかける。

「で、用件はなんだったけな」

鬼も既に事情は把握しているようで、割れた桃型のカプセルに腰かけると、

「いやァわざわざ申し訳ねェ!こんなとこまで出向かせちまってよォ!」

「さっきからうるせえんだよお前は。もっと静かに話せないのか」

「そいやァ亀さんよォ。そこのガキどもはいいのか?」

 

 

鬼はそう言って、直立して佇む鉄砲を携えた子供たちを指さす。これから始まる話し合いに部外者がいてもいいのか、という確認だろう。亀は彼らを一瞥し、ああ、と一拍置いてから、

「こいつらは俺の仲間だ。戦力になる」

「ガハハ!仲間か!このカプセルを割るくれェだから相当な威力だわなァ!」

 

 

鬼が入ってきたカプセルは特別製だ。荒波に飲まれても、岩にぶち当たっても、サメに齧られても、決して壊れないよう作られている。壊れてはまずいのだ。なぜなら鬼は泳げないから。もし海に落ちたりすれば文字通り死活問題というわけだ。

 

 

鬼は言葉を切ると辺りをグルリと見回す。これから話すのは本題、つまりわざわざ桃に乗って遠路はるばる砂浜にまで来た用件。亀をこの砂浜に呼び寄せたのは鬼の方だった。とても、とても大事な話をするために。その大事な話とはーー。

 

 

 

 

「ーーオレたちの財宝を盗んだ桃太郎とかいうゴミに復讐をしたい」

 

 

 

 

亀は知っている。

鬼が島が一度、人間に敗北していることを。

桃太郎という名前の英雄が、鬼ヶ島を侵略した。鬼たちがなすすべもなく敗北したことは、竜宮城でも大きなニュースになった。

その上で鬼の言葉をかみ砕き、一つの疑問を口にした。

 

 

「それで?協力相手に我々竜宮城を選んだ理由はなんだ?」

「竜宮城はオレたち鬼が島の古くからの貿易相手だ。手を貸してくれる可能性が一番高かった。オレたちだけじゃまた桃太郎に負けちまうかもしンねェ。頼む。この通り。」

 

 

鬼は亀に向かって頭を下げる。プライドなど、目的のためなら捨てても惜しくはない。

しかしそれでも亀は冷たく、鋭く、鬼に言い放つ。ただで協力するほどお人よしではない。つまりーー。

 

 

「見返りは?」

「取り返した財宝の半分を…」

「全部だ」

「…は」

「聞こえなかったか。全部って言ったんだ」

 

 

赤い鬼の顔が、怒りで真っ赤に染まっていく。鬼は腰かけていたカプセルから立ち上がり、声を荒げた。

「てめェこっちが下手に出てるからって調子乗んーー!」

 

 

しかし、すぐに口を閉じざるを得なくなった。

 

 

鬼が亀に飛びかかる寸前、亀が右腕をさっと挙げた。瞬間、子供たちが発砲する。 

向かうは赤鬼。

避けられるはずもなく、冷たい弾丸が無慈悲にも鬼の腹部に直撃する。深紅の液体が腹から零れ、白い砂浜を染めた。鬼は顔を顰めて後ずさる。

 

 

「調子乗ってるのはお前だ、鬼。立場をわきまえろ。頼みごとをするのはお前らで、頼みごとを聞くのが俺たちだ。ならお前がゴチャゴチャぬかすのは筋違いだろ。違うか?俺たちは別に協力しなくたっていいんだぞ」

 

 

亀の意見は全うだ。そうだ。頼みごとをする以上、見返りを求められるのは当然だ。鬼は納得したように目を閉じた。

「い…いいや、違いねェ…。わかった。要求通りにしよう。それなら助けてくれンのかよ」

 「ああいいとも。元々お前たちが桃太郎とかいうクソに奪われた金品は竜宮城に輸出するはずのもんだったんだろ。ならそれを取り返すのに竜宮城が加勢するのは妥当ってもんだ」

 

 

相変わらず渋い声で言い放つ亀に、鬼は再び頭を下げる。今度は感謝の意を込めて。

端から奪われた金品などいらないのだ。報復さえ叶うなら。

襲撃を受けてから悔しさで何度枕を濡らしたことか。

憎いあの面を思い浮かべては何度金棒を振るったことか。

目にもの見せてやるーー。

鬼の眼には憎悪と殺意の感情しかない。

桃太郎を殺れることが現実化していくと、ふつふつと湧き出る憎しみを抑えきれない。

 

 

 

しかし、彼らに一つ誤算があるとすれば。

 

 

 

岩陰から彼らの会話を盗み聞く一人の青年ーー。

 

 

ーー浦島太郎の存在だった。

 

 

 

 

   ※   ※   ※

 

 

 

 

 

(……え、え、えぇえぇえええ!?!?)


浦島太郎は動揺していた。
太郎はいつものように海に洗濯に来ただけなのだ。
塩水で洗濯することがいかに愚かな行為かはこの際置いておこう。
とにかく、鉄砲を持った子供が見えたから、思わず岩陰に隠れた次第で。

 


今の平和なご時世に鉄砲……!?
一体何者なんだと様子を伺っていたら沖から桃と、奇妙な亀が現れた。

 


いや、あれは桃……なのだろうか。
浦島太郎は目を疑った。
太郎の知る桃は掌に収まる大きさだ。
でも今視界に映る桃はゆうに1mを超えている。
そんな大きな桃などーー

 

 

まさか、伝説の勇者、桃太郎おじさん……!
桃太郎おじさんが巨大な桃から生まれたことは説明するまでもあるまい。

 

 

桃太郎おじさんはここら一帯では有名人だ。いや、ここら一帯どころではない。全国に名を轟かせた英雄だ。浦島太郎は桃太郎おじさんに、家が近所だったこともあって普段から好意にしてもらっていた。"太郎"という名前だって、桃太郎おじさんのように立派で強く大きな男になれ、という期待を込めて両親に付けてもらったのだ。

 


されど、今の浦島太郎は桃太郎のように強くはない。
立派な男にもなれていない。
第一、浦島太郎は運動などほとんどしてこなかったのだ。
こうして海に洗濯に来ている時点でお察しである。頭も悪い。
完全なるインドア派。家でプラモデルを組み立てるのが趣味。争いごとは嫌いで、穏やかな日常が過ごせればそれでいいと思っている。

 


今、当の巨大な桃を見て、また桃太郎おじさんのような英雄が生まれるのだろうか、そしてその瞬間に立ち会える自分はなんと幸運なんだろうかと目を輝かせていた太郎だったが、亀が上陸し、子供たちが鉄砲を構えた瞬間に目の色を変えた。

 

 

ーーあの子供たちは、亀を虐める気だ。

 

 

止めなきゃ。イジメはよくない。まだ子供なのに、鉄砲なんて危険なもので動物を虐めようなんて。ここは一つ年上の自分がガツンと。
岩陰から足を踏み出そうとして、止まる。

 


太郎が「行こう」と思った時には既に弾は放たれていて。
足を踏み出した時には金属音が響いていた。

 

 

撃たれた。
止められなかった。
ずっと見ていたのに。
鉄砲を持った子供たちを見た時にすぐ行くべきだったんだ。
様子を見ようと思った臆病な心が、亀をーー。

 

 

ーーえ。金属音?
視界に飛び込んできたのは真っ赤な鬼。

 

 

鬼。

 

 

鬼……。

 

 

鬼!?

 

 

浦島太郎は全身を這い上がる寒気に襲われた。カチカチと震える歯が止まらない。音を立ててはいけないと、必死で口を押さえる。なんで。どうして。なんで。なんで。なんで。どうして。なんで。
鬼なんて最早伝説の生き物ではなかったのか。
桃太郎おじさんが滅ぼしたという話だったはずだ。
今すぐ。今すぐ逃げたい。逃げたい。逃げなきゃ。知らせなきゃ。みんなに知らせないと。みんなが襲われる前に。早く!
でも目を逸らすことはできなかった。
足がすくんでしまい、歩くこともできない。

 

 

膝が震えるとはこういうことを言うのか。
真っ白になる脳がそんなことを勝手に思う。

 


白の脳に割り込むは暴力的な赤。
そしてそこから覗く白の牙。

 


自分が喰い殺されるイメージが浮かぶ。白が脳を蝕んでいく。そして体の中の赤という赤があふれ出し、全身が真っ赤になり、そしてまた、思考が白に侵され、そしてーー。
助けを。助けを呼ばなきゃ。

 


助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けを助けをーー

 

 

声が、出ない。 

声が出ないことで困惑が生まれ、白くなっていた脳が彩を取り戻した。彩る色は、赤。

 

 

鬼の大きく開いた口が消えてくれない。
妖しく光る眼球が、命を刈り取る牙が、爪が。
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろーー!
心の中で絶叫を上げる。それが聞こえたのか聞こえなかったのか、優しい温もりが浦島太郎を救った。

 


不意に肩が、叩かれる。
そこには。

 


口を真一文字に結んだ白髪の老人が立っていた。
「おじさん……桃太郎おじさん……」
「わしが来たからにはもう大丈夫じゃ」

険しい顔をしながらも凛と胸を張る桃太郎の姿を認めて、すっかり気の抜けた浦島太郎は「どうして人は歳を取ると一人称がわしになるのかな」などと考えていた。

 

 

 

 

 

 

   ※   ※   ※

 

 

 

 

 

「なるほどのぅ……竜宮城と鬼ヶ島が」
白い髭を撫でながら桃太郎は呟いた。

 


桃太郎が来たことですっかり安心しきった浦島太郎は相変わらず「なんで人は歳をとると語尾にのぅがつくんだ?」などとマヌケなことを考えていた。

 


「とりあえずサルとキジに連絡を取るか」
「……え!?どうやって連絡取るんですか??」
「そんなもんLIMEに決まっておろうが」
「サルとキジもスマホ持ってる時代なんですか!?」
「何を言うとるのじゃお主は。当たり前じゃろ。まだ寝ぼけてるのか?それとも過去からタイムスリップでもしてきたのか?えぇ?」
「あはははまさか。ずっと家のことしかやってなくて。外のことなんてあんまり見てきませんでしたから。常識が足りないんですよね……お恥ずかしい話ながら」
「お主は箱入りみたいな所があるからのぅ。もう少し外を見てもいいかもしれんの」
「ところで……先ほどサルとキジに連絡するって言ってましたけど」
「うむ」
「犬はいいんですか?」
「忘れておった」
「忘れてたんですか!?」
「冗談じゃ。あいつはスマホ持ってないから直接言いに行こうと思っていただけじゃよ」
「犬はスマホないんですか……よくわかりませんがまた鬼退治ですよね。頑張ってください。キビだんごはあるんですか?」
「やはりないとダメ……じゃろうな。あやつらがなんの餌もなしに協力してくれるとは思えんからの」
「でも、昔キビだんご作ってくれたご両親……はもう」

 


正確には両親ではない。桃太郎は、山に芝刈にいったおじいさんと川に洗濯に行ったおばあさんの「本当の」息子ではない。桃に入って流れてきた、出生不明の存在だ。それでも、桃太郎自身はその真実を知りながらも、おじいさんとおばあさんのことを本当の両親として慕っていた。そしてその両親も歳を取り、今はもう夜空の星となってしまった。あの伝説のキビだんごを作ったおばあさんは、もう。

 


「キビだんごくらいなら、自分が作りますよ。それくらいしかできませんから」
「作れるのか?」
「……えぇ。もちろんうまく行くかはわかりませんが。頑張ってみます!」
インドア派の浦島太郎にはそこそこ料理の心得がある。それらしいものは作れるだろう。浦島太郎は片手でガッツポーズを作る。当然、岩の向こうの亀や鬼に気づかれないように、ではあるが。
「なので、鬼退治頑張ってくださいね!!」
「なーに言っとるのじゃお主は」
「え?」
「お主も行くんじゃよ」
「えぇ!?」
「決定事項だ。絶対連れてく」
「そんなぁ……自分戦いなんて出来ないですよ」
「それでも絶対と言ったら絶対だ」

 


桃太郎おじさんの頑固さは相変わらずだ。やれやれと首を振る。
「はぁ、、わかりました。わかりましたよ。じゃあ犬を迎えに行きましょうか」
二人の太郎は忍び足でその場を離れた。

 

 

 

 

 

    ※     ※     ※

 

 

 

 


「これがァ……!」
「そうだ。竜宮城の戦力として貸し出す蟹たちだ」
「確かに数は凄いがァ…攻撃はできンのかァ?」
「ふん。試してみるか?個体は小さいが頑丈だぞ。このガキどもの鉄砲でも傷一つつけられないからな」
「特製の桃カプセルすら簡単に撃ち抜いた銃でもかァ!?凄いなそりゃァ!」

 


鬼は興奮を隠さずに、砂浜を埋め尽くす真っ赤な蟹を眺めた。1000、いや2000はいるだろうか。

 


「それに攻撃力も十分だ。こいつらのハサミの切れ味は凄いぞ。その切れ味で一斉にあちこち刻ませたら……あとはわかるな?」
鬼はごくりと唾を飲み込んだ。

 


どこからともなく砂から急に現れた何千ものという蟹の群れ。
彼らに害意があったら、きっと鬼は気付く間もなくミンチになっていただろう。
特に、砂に姿を隠せる砂浜という場所においては、蟹というのは恐ろしい敵となる。
知らぬ間に一瞬で足がなくなり、次は腹、胸、首…。想像しただけで身震いする。

 

 

ーーそして、浦島太郎と桃太郎が蟹の姿を認める前に立ち去ってしまったのは、彼らの最大の誤算となる。

 

 

 

 

 

続き

r-tryangel.hatenablog.com