回転丼
「穴があったら入りたい」
皆さんはそんな経験をしたことがあるだろうか。
私にはあるーー現に今この瞬間、羞恥心が血潮に乗って身体の隅々まで行き渡り、そのくせ身体自体は硬直していた。
「うっそ…え、やだ、え、もう、ぁぁああああ」
情けない声が漏れる。今すぐ床に身を投げて、穴を掘って眠りたい。
華の大学1年、5月。
私は、失敗する。
「荷物はそのままでいっか」
私は、クラスメイト5人と共に食堂に来ていた。クラスメイトと同じ時を共有できるのは、どこか嬉しいものだ。大学に入りたてで、右も左もわからなくても、仲間がいれば心強い。明らかに生徒数に対して席の少ない食堂でフルーツバスケットをするのも、仲間あってこそだ。一人じゃできない。
「あったあった。財布っと…あとスマホがあればいいかな」
カバンの中で貴重なものなどその二つくらいのものだーー大したお金は持っていないのだが。教科書を盗まれた!などというニュースも聞くけれど、滅多にあることではないだろう。フラグではない。
私以外のクラスメイトは既に準備を整え、トレーを持って列に並んでいた。
遅れて列に参入したために、私はお喋りに興じることもできず、自らの順番が来るまでの間、スマホをいじっていた。入学初期は特に、SNSの繋がりも貴重だ。くだらないツイートに、くだらないリプライをつける。
列が動き、ショーケースの前に歩み出る。ショーケースにはメニューの見本が並んでいて、私はその中の一つに目を引かれた。
「ほほぅ、回転丼……美味しそうだな、これにしよ」
それは、肉野菜炒めが白米に載せられたような見た目をしていた。丁度肉を食べたい気分だったから、まさにおあつらえ向きだった。そして、私は重大なミスに気がつかない。
プレートには「回鍋肉丼」とハッキリと書いてあるのに、勝手に「回転丼」に脳内変換されていたのだ。
さらに列が進み、私は券売機の前に立った。
ちらと視線を巡らすと、クラスメイトは既に購入を済ませて席へと向かっている。急がなければ。しかし財布を開くも小銭がない。仕方なくお札を投入し、「回転丼」と書いてあるボタンを押した。しかし、券売機はうんともすんとも言わない。
「ん?押せてなかったかな」
もう一度押してみる。さっきよりも力強くーー。押した直後、券売機からくぐもった機械音が聞こえた。そして「回転丼」のチケットが受け皿に二枚、排出される。
(二枚!?)
どうやら一回目もきちんと押せていたようだ。
どうしよう。私は困った。
券売機に払い戻しなどという機能はあるまい。かと言って食堂のおばさんを呼ぶのも申し訳が立たない。
ならばどうするか。
涙を飲むか。いいや。もっと手っ取り早い方法があるじゃないか。
後ろにズラリと並ぶ人の誰かに売り捌けばいい。
なんたる名案!
私はくるりと後ろを向き、回転丼のチケットを空に掲げる。気分は自由の女神そのものだ。並んでいる人達に聞こえるように、声を張る。
「回転丼買う人いませんかぁーー!!!」
静寂が、場を支配する。
とっさのことで驚いているのだろうか。それとも、聞こえなかったのだろうか。
ならば念の為、もう一度。さっきよりも大きな声で。
「回転丼!!買う人いませんかーー!!!」
静寂の中、一人が前に歩み出て、私が掲げるチケットを覗き込んだ。その人は「買います」と言って私からチケットを受け取り、代金の400円を支払った。
チケットの売り捌きに成功した私は、満足げな顔で配膳口へと進む。
「すみません、回転丼で」
食堂のおばさんは一瞬怪訝な顔をして、私の差し出すチケットを見た。そして怪訝な顔のまま、テキパキと仕事をして、私に回転丼を手渡した。なぜおばさんが怪訝な顔をしているのかわからず、私もまた、怪訝な顔だ。
こうして買い物を済ませ、無事皆の元へ合流した私に、クラスメイトのうちの一人が声をかけた。
「とら、その料理のことなんて言った?」
「これ?回転丼だろ?」
「それホイコーローだよw 回る鍋の肉で、回鍋肉。なんだよ回転丼ってww」
何を言われたかわからなかった。脳が、言葉を拒否していた。
しかし、それも数秒間だ。次第に私は、事態を受け入れつつあった。
私はショーケースの元へ走った。
確認しなければならない。本当に?
場合によってはとんでもなく恥をかいたことにーー。
「回鍋肉丼……何が回転丼だよ、馬鹿野郎」
穴があったら入りたい。
まさに、その諺がピッタリの心境だった。
あれだけ多くの人に、回転丼回転丼と連呼してしまったのだ。
きっと並んでいた人たちも、食堂のおばさんも、今頃私のことを笑っているに違いない。
そうだ!
もしかしたら回転丼って料理もあるのかも。なんなら、回鍋肉の別名なんてこともーー。
私は救いを求めて、検索をかける。
結果は、知れていた。
机に戻ってきた私は何も言わずに席に座る。クラスメイトのからかいに薄い笑いを浮かべるが、もう、消えてしまいたいと思った。
食べ終わった私は少し落ち着きを取り戻していた。
(ま、いいネタになったかな……)
そう思うことが、唯一の救いだ。
ツイートでもしておくか。
何も考えずに指だけを動かし140字の文章を打ち、ツイート。
いつもの流れだ。
ーーその夜。
私の質問箱に質問が投函された。
質問箱とは、誰しもが匿名で質問できる、Twitterと連動したシステムだ。
『回転丼の件面白かったですwwwあの時現場にいましたww』
私は、初めて大学をやめたいと思った。
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フォロワーさんが書いてくれた回転丼のイラストです。
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