ロリ
(21)を遠目で見ると、少し崩して書いた「ロリ」に見える。
おれは今21歳だから、とら(21)。ふむ。
つまり、21歳の人はロリを引き連れて生きているわけだ。
ところで、ロリとはなんだろう。
急に哲学的な話が始まって読者は混乱しているかもしれない。
だが、これは現代社会において非常に重要、いやあらゆる社会問題の根幹をなすと言っても差し支えない。
哲学は時に理解されない。
役に立たないことをあれこれ考えて、勝手にわかった気になる。社会に何をもたらすでもなく、机上の空論をこねくり回しては自己満足を生み出すだけ。そんな風に思われがちだ。
過去の歴史を見てもそうだ。
哲学者というのは死後に尊ばれることがほとんどだ。
生きているうちは「なんだあいつ」と白い目で見られる。
これは、人類が哲学を心のどこかで軽視している証拠といえる。
話を戻そう。
ロリは『ロリータ』の略で、それは1955年に出版されたフランスのウラジーミル・ナボコフによる小説の題名である。
主人公の歴史学者ハンバートは、初恋の相手アナベルを出会って4か月で亡くす。その後結婚を経験するもアナベルを忘れられず、アナベルの面影を持つロリータに近づこうとするが、結局ロリータがハンバートの想いに応えることはなく……という話である。
この小説から"ロリ"や"ロリコン"などの語が広く知れ渡ることになったわけだが、これはそれほど多くの人が関心を示したことの表れでもある。
言い換えれば、みんなロリが大好きなんだ。
考えてみれば当たり前の話である。
19世紀フランスの著名な画家ポール・ゴーギャンの『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』と題した絵画が大衆の目を引いたように、我々は常に自らの根源と行く末を案じてきた。
それは宗教と深く関係し、多くの場合女性は神聖なものとみなされた。
まさに人間は女性から生まれるものだからである。
例えば日本では、女性の肉体を象った「土偶」が大量に発掘されている。
キリスト教では、「聖杯」は女性の子宮を意味する言葉であるし、イスラム教世界では女性は髪と肌を布で覆っている。これはコーランの「美しいものを守る」という教えに基づく。
女性の権利が訴えられる昨今では感じにくくなっているが、太古より女性は崇められてきたのである。
また胎内で胎児が形成されるときも、最初は女性の姿をしているという。残念ながら男性は女性の派生形に過ぎない。
すなわち、人間の根源は女性である。
そして常に根源を求めてきた我々が、女性の雛である"ロリ"に神聖さを感じないわけがないのだ。
我々はロリから来て、我々はロリで、我々はロリへ向かう。
ここまで説明すれば、あらゆる問題の根底に眠るのがロリだという話にも頷けるだろう。
また、人々が軽視しがちな「哲学」が非常に大きな示唆に富んでいることをご理解いただけただろうか。
自分でも何を言っているのかわからなくなってきたので、そろそろ筆を置こうと思う。
最後に一つだけ言っておく。
このブログを、あまり真に受けないでほしい。