とらの徒然

ネコ科のペンギン

就活と安寧(7)

前回↓
r-tryangel.hatenablog.com


就活は、おれの安寧を奪わない。
3月1日以降、毎日オンライン説明会が続いており、時折座談会が挟まったりする。


どうでもいいが、3月1日をなんと読むだろうか。
おれはずっと、「さんがつついたち」が読んでいる。
しかし就活を進めているとわかるが、「さんがついっぴ」と読む界隈があるらしい。わけがわからない。
ならば2日は「にぴ」で、3日は「さんぴ」なのだろうか。
なんかかわいいな。かわいいものは好きだ。


話は変わるが、おれは自室を持たない。
よって、面接や座談会でおれが発言している様を、親が後ろから見ている。
そしてPCを閉じれば、アレはああした方がよかったとか、こういう表現するといいとか、諸々の「助言」をくれる。
ありがたいとは、思えない。
「うるさいなあ」と思う。
でも、親はよかれと思ってやっているのだろうから、おれは「そうだね」と曖昧な笑みで返す。


親は、おれの未来をよく考えていると思う。
おれが将来苦労しそうな種を、全力で排除しようとする。道を整えようとする。
昔、言ったことがある。
綺麗な道ばかり歩きたいわけではない。失敗をしても構わない。失敗したら改善策を考えれば済む話だし、そもそも、失敗してもおれは絶対に後悔することはない。事実、今のところ、人生に後悔は一つもない。親心として子どもに安全な道を歩いて欲しい気持ちはわかるけど、もう少し放任でもいいんじゃないか、と。
けれど、何十年も生きて凝り固まった大人に響く言葉ではなかった。


とまあ、行き場のない憤りや諦念を抱えながら、就活は続いていく。
以前内々定を頂いたと書いたけれど、その企業に「もうちょい色々見たいんで待ってくだせえ」と言うのが心苦しかった。
贅沢な悩みだね。


どんな企業でも、面接ではあたかも「第一志望です」みたいな顔をして話している。
完全にダウト。
しかしまあ、嘘が上手いやつが世を上手く渡っていくのは、この世の真実の一つだとおれは思う。


次回↓
r-tryangel.hatenablog.com

就活と安寧(6)

前回↓
r-tryangel.hatenablog.com


就活だけが、おれの安寧を奪う。


3月1日。
ついに人生をかけた一大イベントが解禁される。ズラリと一列に並んで呼吸を整えていた就活生たちは、空高く鳴り響く銃声に一斉に前へと走り出すーー。


なんてことは、まるでない。
後ろに向かって走り出すやつもいれば、既にフライングをキメて遠くを走っているやつもいる。
結局は、3月1日の銃声などお構いなしに各々が就職活動をしているのではあるが、やはり銃声が鳴れば気になるのが人間というものだ。
なんとなく周りを意識して、ぴりぴりし始めることだろう。


さて、おれもまた、望みもしないレースに投じられた哀れな就活生である。
とはいえ、既にこのブログのタイトルが(6)まで続いていることからもわかるように、ある程度フライングをキメている状態だ。実のところ、内定も一つ得ている。就職浪人を逃れたことでおれの目的は達成を迎え、もう就活を終わってもいいとまで考えている。
完走していないけれど勝負を降りるーー俗に言う、リタイアというやつだ。


実際、どんな企業で働こうが仕事内容はさほど変わらんだろうし、どうせキツいし、だからどこに就職しようと構わない。それに、辛い思いをしてまで就活続けたくないしね。
就活に限った話でもない。
楽して生きて、二進も三進もいかなくなったら潔く死のう、と日常的に考えている。それを一言で表せるとしたら、「安寧」だ。


しかし、常に死と隣合わせの人生は辛かったりもする。
発狂しそうになることだってよくある。
頭を抱えて奇声を発して、手当り次第に光物で傷つけて回りたい衝動に襲われる。
どうせいつか死ぬんだから、なんでも出来るんじゃないかと思うことがある。全能感、というやつだ。
恐れることなんて何も無い。やっちまえ、と頭の中で声がする。
明日に執着しないおれは、いつしかその声に抗えなくなるのだろう。
犯罪者が捕まるニュースを耳にする度、いつからか被害者ではなく加害者に感情移入するようになった。
確かにその事件では加害者だったかもしれないが、それまでの人生で、彼はどういった想いを抱えてきたのか。彼はずっと、被害者だったかもしれないのに。鬱憤を晴らす場所もなくて、我慢を強いられてきたのかもしれないのに。
他人に害を為すことは責められて然るべきだとは思う。ならば、世渡りが上手くない人はどう生きればいい?
ひっそりと耐えて耐えて、また耐えて、緩やかに死を待てばいいのか?
いつだって死にたいと感じていて、生きる理由なんてなくて、かといって今死ぬ理由もなくて、明日を迎えるのが億劫で、毎朝布団の上で起き上がって何になるんだと自問し、締め付けられるような痛みを抱いたまま夜になって、人生の意味を考えて、2秒後に結論が出て、何か心が踊るようなことをしたくて、しかしそれが社会に許されないことだったとして、必死に自分を宥めて、でもやっぱり起きる理由も寝る理由も生きる理由も死ぬ理由もない、本当に自分がしたいことすらわからず、社会の歯車になって翻弄され溺れて目が回って、もうなんでもいいや終わらせてしまおう最後に一回勇気ある行動をしてみようかと思い立って珍しく生気ある顔つきで布団から立ち上がったのなら、おれはその人を、かっこいいと思う。


就活は、おれの安寧を奪わない。
安寧は案外頑丈で、自分の手でぶち壊さない限り、ゆるやかな死を齎すだけのかもしれない。


次回↓
r-tryangel.hatenablog.com

ドキンちゃん

最近、間食として菓子パンを食べがちだ。
いかにもな発言だけど、おれは太っていない。むしろ、もう少し太らないといけないくらいだ。
決して食べる量が少ないわけではないのだが、何故か太らない。体質だろう。嫉妬に狂った女子高生に刺されてしまいそうだ。まあ、JKに刺されて死ぬなら本望だ。我が人生に一遍の悔いなし。


それはそれとして、今日の夕方、おれはメロンパンを食べていた。
昔からの好物だ。
いや、実を言うと本当に小さいころは、そこまで好きでもなかった。歯の裏にくっつくからと、避けていた節がある。
それが今や好物のリストに加わるくらいなのだから、メロンパンは恐ろしい魔力を秘めている。
服を一着買う金があるなら、メロンパンを20個買うね。


ところでメロンパンの起源はいつなのだろう、と思って調べてみれば、どうやら1930年代まで遡るらしい。一説によればもっと昔まで。如何せん発祥にいくつか説があるらしい。
なんにせよ、天才的な発想をする人がいたもんだ。
あなたのおかげで、おれは今日も最高にハッピーに生きていける。ありがとう。


かれこれ1世紀近くも売れ続けているとなれば、メロンパンは菓子パンの中でもロングセラーの部類に入るだろう。どんなスーパーやコンビニでも、メロンパンを扱っていない店はないはずだ。
しかし、メロンパンは王様にはなれない。
王様はきっと、アンパンだ。


世を震撼させた、かは知らないが、大人気アニメ『アンパンマン』では、アンパンが主役を飾っている。メロンパンはどうかと言うと、脇役中の脇役だ。悲しいね。
ただ、実のところ、アンパンマンのストーリーはよく知らない。テレビで見ていなかったからね。


それでも、流石に主要な登場人物くらいは把握している。
まずは主役のアンパンマン
悪ガキに顔をちぎりとっては分け与えて更生させる自己犠牲の擬人化、もとい擬パン化のような存在。
おれだったら、目の前にアンパン顔の生物が飛んできて顔をちぎり出したら腰抜かすけどね。
あの世界の住人は警戒心を地元に置いてきたか、もしくはアンパンマン御一行に洗脳されているに違いない。


そして親友の食パンマン。
しかし、親友と思っているのは食パンマンだけで、主人公のアンパンマンは食パンマンを友達だと思っていない。完全な片想いだ。泣ける。
これは、主題歌の歌詞「愛と勇気だけが友達さ」からわかることである。
食パンマンは友達じゃなかったのだ。初めて歌詞を知ったときには驚いたものだ。
アンパンマンの自己犠牲の精神には見習うべきところがあるけど、もうちょっと周りを見てもいいとは思う。
あなたを大切に思う仲間もいるのよ!あなたが傷つくことで心を痛める人もいるのよ!


続いてカレーパンマン
実際この人、否、パンはどういった立ち位置なのか。
なんかちょっとうざいやつ、という印象をおれは勝手に持っている。確か、「オレのカレーが噴火しちゃうぜ〜」が口癖だった。
そして、そのカレーパンマンの彼女が確かメロンパンナちゃんだ。
とはいえ、メロンパンにカレー(意味深)をかけるのはいささか乱暴が過ぎると思う。
カレーパンマンは鬼畜で非道な変態だ。けしからん。絶対に許すな。


味方サイドには、他にジャムおじさんとバタ子さんがいた。
バタ子さんはジャムおじさんの愛人だったと記憶している。確か、夫婦ではなかったはずだ。
ただ、ジャムおじさんにもバタ子さんにも配偶者がいるという話は聞いたことがないから、2人とも独身だと仮定すると、愛人という表現には違和感が残る。


あとは犬のチーズな。
なんか顔が腹立つ。


味方サイドで知っているのはこれくらいなので、敵サイドに移ろうと思う。
といっても、バイキンマンドキンちゃんしか知らないのだが。


ところで、皆はドキンちゃんをどのように発音しているだろうか。
おれは昔から、キにアクセントを置いて、ド(↓)キン(↑)ちゃんと発音している。
「花瓶」「車輪」「降臨」「出目金」「土偶」「ドキン(心臓の音)」


しかし、母はこれをおかしいと言って笑った。
母は、ドにアクセントを置いて、ド(↑)キン(↓)ちゃんと発音した。
「試練」「未練」「ドキン」


21年間ド(↓)キンと発音してきたので、おかしいと指摘されて困惑した。
一体どちらが正しいのか。
考えてみることにした。


第一、我々は彼女を「ドキンちゃん」と呼ぶが、本来の名前は「ドキン」のはずである。
「ちゃん」は愛称だ。多分。名前じゃない。多分。
そういえばバイキンマンは彼女を呼ぶとき何と呼ぶのだろう。
まさか敵のボスたる存在が女の子をちゃん付けで呼ばない……よな。
とにかく、ドキンちゃんの名前は「ドキン」なわけだ。そうなるとド(↓)キンよりもド(↑)キンの方がしっくりくる。
「わたしはド(↓)キン」
「わたしはド(↑)キン」
うーん、後者の方が可愛らしい。


しかし、待ってほしい。
ドキンちゃんは曲がりなりにも悪役である。
子供向けアニメの悪者に可愛らしさを求めてどうする。
この物語は勧善懲悪なのだから、善は善、悪は悪だ。悪役にも実は大切な家族がいて……といったややこしいことにはならない。悪は徹底的に悪なのだ。
そう考えると、一見響きの悪い「ド(↓)キン」も捨て難い。


ここでふと、疑問に思う。
ドキンってなんだ?


アンパンマンのキャラクターは全員名前に意味があった。
アンパン、食パン、カレーパン、メロンパン、ジャム、バター、チーズ、バイキン。
ドキンと聞いてパッと思いつくのは擬音語だが、彼女だけ擬音語というのも変、というか仲間はずれで可哀想ではないか。


ドキンちゃんバイキンマンの仲間だ。
ドキンはバイキンの仲間……。
それに気がついたとき、視界が一気に晴れたかに思えた。
これだ。これしかない。
広い空の下で駆け回る少年のように、おれは目を輝かせる。


ドキンは「キン」の一種なのではないか。
バイ「キン」。ド「キン」。ド菌。


間違いない。だからバイキンマンとセットなのだ。
菌類だから!


こうして、おれの中で結論が出た。
発音は、ド(↑)キンではない。
ド菌なのだから、ド(↓)キンだ。


やはりおれは間違っていなかった!最高の気分。今年一番の爽快だ。


ところで……実際はどっちなんですか。
テレビ見てた人、教えてくれ。

就活と安寧(5)

前回↓
r-tryangel.hatenablog.com


就活だけが、おれの安寧を奪う。
いよいよもって、冬期インターンの季節が到来だ。
ありがたすぎて涙が出そうだ。


おれは例のごとく、ESを書いては落ち書いては落ちと、学習能力のないサルのような行動を繰り返している。
いや、待てよ。
大学1年の頃、確か心理学の授業で「繰り返し行動は学習の基本」と習ったぞ。
ということは、おれがいつまでも進歩しない現状は、現在進行形でおれが学習しているという証明にならないだろうか。


とはいえ、いつまでも立ち止まっているわけにもいくまい。
現実問題、皆が足並み揃えて前進する中、流れに抗って立ち止まるよりかは、流れに任せてふらふらとついていった方が案外楽だったりする。


そんなわけで、おれもセミナーに参加したりインターンに参加したりしている。
企業を知れるのは悪いことではない。なんなら、世の中に転がっているどんな些細な知識でも、無駄なものはないと思っている。


例えば、自動販売機や信号機の仕組み、山手線の駅名、漢字の成り立ち、自分の街の用途区域、そこらに佇む鳥の名前、エトセトラ。日頃使っている100円玉でさえ、実物を見ずに柄を正確に思い出すのは難しい。毎日触れるものなのに理解できていないのは、なんとなく恥ずかしい気がする。なんとなく。知らんけど。


とか言いながら勢い余って、物騒な世界に片足を突っ込めば「兄ちゃん、知らない方がよかったなァ」てこともあるだろうが…。
怖。
真面目に生きよう。
真面目に就活します。はい。


セミナーを開催する企業が多い一方で、どういうわけか既に面接が始まっている企業もある。
日頃脊髄で会話しているからか、いざとなると脳みそが回らない。
お?おれは何を言ってるんだ?
となりながらも口だけが勝手に回っている。
不思議な感覚だ。
そんな調子でもなんとか一次面接を突破し、昨日、二次面接を経験した。


面接も二回目になると慣れてきて、他の就活生の話を聞きながら「おれだったらこいつは取らないな」とか、「その返答はイメージ悪くないか?」などと思う余裕が出てくる。
他の就活生というものは存外役に立つ。ほら、自分より緊張してる人見ると不思議と落ち着いてくるじゃないか。


それとわかったことが一つ。
資格やっぱ強え。
以前は、資格なんてクソの役にも立ちゃしねえ。フィラメントの切れた電球かよ畜生が。なんて思っていたけど、面接官は案外食いついてくるものなのね。
「2年生の頃に資格を取ってらっしゃいますけど、この頃からこの業界を志望していたんですか?」
なんて聞かれたりする。
同時刻に世界中を探しても、おれほどドヤ顔してる人はいなかったんじゃないだろうか。


まるで大成功を収めて順風満帆!と言わんばかりの書き方だが、実は全くそんなことはない。
実はこの企業、SPIでヤラカシをしている。
テストを一問目から間違えたのは……まだいいのだが、最後の性格診断で「よく当てはまる」と「全く当てはまらない」の位置を真逆に勘違いしてたのね。
つまり、「よく当てはまる」と答えなければならないところを「全く当てはまらない」と答えてしまい、逆もまた然り、というワケよ。


徹頭徹尾勘違いをしていたのなら、単におれが情熱的でリーダーシップと独創性に富んだ、ちょっと自信過剰なヤツっていう評価になるだけだからよかったんだけど、途中で間違いに気がついたせいで、序盤と終盤で真逆の回答になっちまったのさ。
あっれぇ?
こいつ最初はリーダーシップあるって言ってるのに後半は補佐役が向いてるって言ってるぞ?矛盾してね?
と、今頃は思われていることだろう。


SPIの性格診断は、その人がどういう人間かは実はあまり見られていなくて、きちんと一貫性がある回答をしているかを見られているらしい。
つまり、まあ、なんだ。


おれは一番やっちゃいけないことをしたわけだ。


まあ……うん。
そうだな。
おれの安寧は、いつだって画面の中にあるんだ。


次回↓
r-tryangel.hatenablog.com

夢日記 20201127

木の香りが漂う古い旅館の中で、咀嚼音が響いていた。

半紙を前に跪き、筆も手に取らず、一心に何かを噛んでいる。

 

 

美味しい。

 

 

引きちぎり、噛み、飲み込む。

引きちぎり、噛み、飲み込む。

飽きることなく、一連の動作を繰り返す。

 

 

急に、閉ざされていた引き戸が開いた。

誰かが何かを叫んでいる。

が、おれの耳には届かない。

今はただ、目の前のものに夢中だ。

 

 

ところで、さっきから何を食べているのだろう。

急に疑問に思い、手に持っているものを見た。

それは、黒の柔らかい素材のタオルだった。

 

 

「タオル…?」

 

 

瞬間、これが夢であることを認識。

同時になぜこの夢を見たのかも理解した。

 

 

昨晩読んだ小説だ。

小説の中で、森に遺棄された少女の口から、タオルの繊維が発見されていた。

おそらく、犯人は少女の口にタオルを押し込んで窒息死させたのだろう。

無論、叫び声が周りに聞こえないように、だ。

 

 

となれば、この夢は不吉だ。

 

 

気がついてなお、咀嚼音は部屋に鳴り響いている。

止めたいのに止められない。

おれは取り憑かれたように、黒いタオルを頬張り続けた。

 

就活と安寧(4)

前回↓
r-tryangel.hatenablog.com


最近、SNSで就活について呟く人が多い。
インターンに行く人、面接の対策をする人、公務員を目指して勉強する人、業界研究をする人、この時期に派手な髪色にして親に怒られる人、何もしてない人。
最後のはおれなわけだが。


このままで大丈夫なのか?と思いつつ何もしないこと、そのまま面接で「あなたの短所」として話せそうだ。
それがわかってる時点で、おれは他の就活生より一歩先を行く。
なんてことは、まるでない。


夏休みのころはまだやる気があった。
でも、夏が明けて学校が始まると、就活をやる気が失せてしまった。
言っておくが、勉強が忙しくて就活まで手が回らないのではない。
単に気が進まないだけだ。
1日何時間もゲームに費やす程度の時間的余裕はある。


元々、不動産業界に興味があった。
ということになっている。
単に取りやすそうな資格があって、偶然にもそれを取れてしまったから、最初から興味があったことにしている。
でも、夏にいくつかインターンを覗いた結果、おれには向いていないと思えた。
このあたりのことは『就活と安寧(3)』までのどこかで書いたので、今は端折る。
何度も同じ話をするのはおっさん化の始まりだ。


おれは何がしたいのか?
誰もがぶつかる問いだろう。
我武者羅でもいいからもがき続けることが正解なのはわかっている。
しかし、おれはそこまで情熱的な男でもない。
歳か?
やはり、おれはおっさんなのか?


前回ちらりと話した、人と関わらない仕事を少し調べてみた。
警備員と出てくる。
警備員か。
ビルの各階をうろうろと徘徊して「異常なし」と言ってればいいやつだ。
多分。
偏見か?
でもそんなものだろう。
誰でもできる、簡単なお仕事。
きっとおれでもすぐにできるようになるだろう。
給料は高いとは言えないが、贅沢な暮らしは望んでいない。


しかし。
ただ生きてるだけの人生に意味はあるのか?
そんなもの、ゆるやかな死と同じだ。
就活だけが、おれの安寧を奪う。
働いて何になる?その先を考えても、何も見えてこない。


次回↓
r-tryangel.hatenablog.com

花束

女にとって、花束はどれほどの価値があるのだろう。
正直なところ、花束を携えて電車に乗っている女などは、幸せ者なのだろうと思っていた。
けれど、持ち主に取り残されたはなびらを見ていると、案外そうでもないのかも、と少し残念に思う。


ゆるやかな恋模様を描く小説を読みながら、おれは電車に揺られている。
土曜日の夜だからか、車内はかなり空いていて、ボックス席を一人で確保することができた。


時折、肩肘をついて窓に流れる景色を眺める。
今日のこと、昨日のこと、明日のことに想いを馳せると、自分は所詮大きな流れの一部でしかないのだと思えた。
景色の流れを止めることも、後戻りもできない。
いい景色を逃したとしても、電車はお構いなしに前へ前へと進んでしまう。
されど、今も過ぎゆく四角い明かり一つ一つに、どこかの誰かの暮らしが、想いが、願いがある。
そしてそのすべてが同じ夜空の下で輝いていると思うと、どこかノスタルジックな気分になるのだった。


本に再び視線を落とそうとしたそのとき、誰かの立ち上がる音がした。
トカトカと響くヒールの音が、扉へと近づく。
30歳くらいの女だろうか。
足取りから、酒に酔っているとわかった。
因みに、扉はとうに閉まっている。
閉まった後で駆け寄ったところで意味があるようには思えない。
泥棒を捕らえて縄を綯う、というやつだ。
虚しく立ち尽くす女に無視を決め込んで、電車は相も変わらず前へ前へと走り続ける。


女が観念して座席へ戻る。
そのとき、赤い何かが目を掠めた気がして、おれは思わず顔を上げた。





花束だ。





赤い薔薇が10本ほど、透明なビニルに包まれている。
それが無惨にも女のヒールに踏みつけられて、引き摺られていた。
女はそれを気にかける様子もない。


座席に腰掛けるときにようやく女は足元の違和感に気がついた。
花束を拾い上げーーだが次の瞬間、再びそれは地に落ちていた。
ドサリ、と鈍い音が響く。
実際はさほど鈍い音でもなかった気がするけど、少なくともおれの耳にはそう聞こえた。


これから誰かにあげるものだろうか。
いや、酒に酔った帰り道ならば、きっと誰かに貰ったものだ。
恋人か、友達か、それとも別の何かか、部外者のおれには知る由もない。
だけど、女を大切に想っている人には違いない。
花束は美しく飾られ、有り合わせのものにはとても見えなかったからだ。


女は花束を無造作に隣の座席に置くと、居眠りを始めた。
おれはなんだか悔しい気分になった。


気付いてほしい。
誰かの贈り物を、ぞんざいにしないでほしい。


女は結局、次の次の駅で降りた。
そして電車から降りたところで、女はまた花束を落とした。
女からすれば、片手を塞ぐ邪魔な手荷物でしかないらしい。


ホームに軽快な音楽が鳴り響き、扉が閉まり始める。
女が座っていた座席の下に赤いはなびらが一枚取り残されているのが、たまたまおれの目に入る。
世界はスローだ。
まだ間に合う。間に合う。
間に合うから、気付いてくれ。
忘れないでくれ。
だが無情にも、時は止まってくれない。


本に視線を落とす。
誰かの暮らし、想い、願いの光が一つずつ、静かに静かに消えていく。
世界の片隅のはなびらは、誰の目に止まることもない。
仲睦まじいカップルも、化粧に夢中な茶髪の女も、腕組みをして顰め面をするおじさんも、誰しもが自分の世界に夢中だ。


バタバタと電車を後にした化粧女は、踏み潰したものに気付かない。
入れ替わるように乗車してきた坊主頭の学生は、その大きなカバンの下敷きになったものに気付かない。


ならば、おれが覚えておいてやろう。
車窓に数多の光。
速度を緩めない電車。
すべての光を捉えることは難事なれど、せめて見えたもの、そこに託されたものは、おれの中に残してやりたい。
こんな小さな落し物だって、誰かの暮らしや想いや願いを運んでいるんだから。
報われない想いを救ってやりたい。


柄にもないことを考えた。
少々面映ゆい心持ちになって、電車を降りる。
トイレに行こう。
さっき飲んだコーヒーのせいだ。
コーヒーの利尿作用は案外バカにならない。


駅のトイレに入ると、便器の中に黒いものが見えた。
黒いーー布だ。
小さなリボンがついていて、それは女性用の下着にしか見えなかった。


どんな落し物だって、誰かの暮らしや想いや願いを運んでいる。
けれど、男子トイレにそぐわない"それ"は、ロクな物語を齎さないだろうと、おれは確信してしまった。